美のありか

ー美のありかを語るー

田根 剛氏による目覚めた人間の為の建築ーサステイナブルな文明のあり方を模索する試みⅠー

 

本日朝Eテレを視て居たら、其処でたまたま凄い番組が流されて其れに目が釘付けとなった。

一言で評せばまさに其れは眞の意味での文明の進歩のあり方を示すことだらう建築のことでした。

 

で、其れが或る建築家により東京にて行はれて居るものであることが分かった。

 

其の表参道と言へばかってわたくしは17歳の折に訪れましたが其の折にわたくしはカツラを被って其処を歩ひて居たものでした。

 

 

 

サステイナブル【sustainable】ー[形動]《「サステナブル」とも》持続可能であるさま。特に、地球環境を保全しつつ持続が可能な産業や開発などについていう。

 

 

さて其のサステイナブルな文明のあり方ですが、實はまさに今其れこそが文明に問はれて来て居ります。

と申しましても其のことは一部の「意識が高ひ系」の人々の間でのみ重要な観点として流通するばかりなのでせう。

  

「意識が高ひ系」の人々にも色々と種別があることかと存じますが日頃から私が思って居る事とは決して経済的な成功の中だけに其の意識の高さが存する訳では無ひと云ふことなのだ。

 

勿論経済的な成功者の中にも洗練された意識を持ち其れなりに自らの価値観を固められて居る人々が要ることでせう。

 

でも私ははさうしたものを特に評価する訳では無ひ。

 

私が見詰めて居るものとはズバリ其の人が持つ生に対するコンセプトです。

 

彼がまた彼女がどのやうなコンセプトを持ち今と云ふ時を生き抜ひて居るのか、まさに其処こそが問題となるのです。

 

  

さても其のサステイナブルな文明のあり方とは何か?

まさに其の点が「意識が高ひ系」の人々にはすでに分かって居るのです。

 

たとへば岡本 太郎氏などが其の脱文明への藝術的見地からの模索をなした人であったことだらう。

岡本 太郎氏は縄文時代の生粋のエネルギーのやうなものを現代社会に蘇らせ其れを其の侭に現代と云ふ倒錯の世界にぶつけてみた訳だった。太陽の塔

 

  太陽の塔#第4の顔_「地底の太陽」(太古の太陽) 生命の樹より

 

 

太陽の塔を創った「爆発する藝術家」としての岡本 太郎氏による生に対するコンセプトはむしろ「人類の進歩による自然の不調和」であった。

其れ即ち「意識が低ひ」=「獣」としての人類の営為が積みかねられる程に自然は汚され其ればかりか破壊される即ち持続不可能なものとなって行かざるを得ぬ。

 

 

だから其れは表向きの「調和」とはまさに裏腹でのコンセプトであった。

さうして望ましくある筈の生のエネルギーの発露は現代が目指す進歩などでは得られず、むしろ縄文と云ふ過去を振り向くことでこそ得ることが可能となる。

 

即ち人間の生としての根源的なものを見詰めなければ進歩がむしろ破壊者であることの實相が見極められぬ。

 

此処からも所謂意識が高ひと云ふことはそんな現代の価値観に対する批判力のこと其のものなのだらう。

 

だから其のサステイナブルな文明のあり方の問題とは最終的には見識の違ひ=価値観の違ひの部分に集約されて来ざるを得ぬ訳だ。

 

 

つまるところ意識の低い奴には物事の實相がまるで見へて居らぬが故に人間は進歩して偉ひなどとさう思ひつつも實際には文明は世界を破壊して行くことしか出来ぬ訳だ。

 

私が此の処「獣」と云ふ概念を提示して居るのはまさに其の見識が低い様、要するに知識だけはあっても物事の道理がまるで分かって居なひ文明に於ける認識の様をさう揶揄して言って居たのだ。

 

 

つまるところはまさに其れが現代文明による価値観と自分でもって創り上げて来た価値観との齟齬であり乖離である部分なのだ。

 

だがサステイナブルな文明のあり方を模索し且つ其れを提示して行くことこそが藝術に与へられた使命であることもまた確かなことなのだ。

其の気付きの力を世に指し示す=表現することこそが表現者であることとさうでは無ひ世界との溝や壁に対する挑戦でもまたあることなのだらう。

 

だから其れはどんな藝術上の分野であるにせよ同じことなのだ。

 

絵画にせよ彫刻にせよまた建築にせよ文學にせよまさに其の使命をこそ其処に担って居るのだと言ひ得ることだらう。

 

 

さて其の建築家の田根  剛氏のことですが、此の方はまさに文明の目指すべき方向性を高ひレヴェルで表現されて居ると云ふ意味で抜きん出た方なのだらう。

 

ー「私の想いを正直に話すと『今、みんなが本当に欲しいものは何?』をお客さんと一緒に考える場所をつくりたかった。環境やライフスタイルの急な変化が起こっている中で、人々の価値観も変わっていることは確か。私は現代の生きづらさの一因に、自分では作れないスマホや移動手段に頼らなければならない恐怖感があると考えていて、今回この“更地”で、一から私たちに必要なものを確かめたかったんです。たとえば先日、ここに陶芸家の方がいらっしゃって、一緒に『縄文時代ごっこ』をしたのですが、庭園で焚き火をしていたらお皿や器ができました。作物も育てているから、美味しいごはんも食べられる。土からレンガをつくって家も建てれば、ここでミニマムな暮らしができるなと小さな自信と喜びを覚えました。もしかしたら、この感覚を可視化して訪れる方々に共有していけば、現代の生きづらさが解消される未来に繋がるかもしれませんよね」

「歴史を振り返っても、新しい文化は、リセットされた更地から始まるものですから」ー床、壁、天井、テーブルも地球に還る「土」。表参道でサステナブルな美食体験「GYRE.FOOD」よりー料理人である野村 友里氏の言葉ー

 

 

かうして現代文明は抽象的に現在を形作り過ぎて居ます。

其の現在は謂はば虚の現在であり人間にとりあるべき今なのでは無い。

 

或は学校で教師達も今困って居ることでせう。

今はコロナのこともありませうが、其れ以前に子供達の近視の拡大がもう酷いことになって居るやうだ。

 

其れも教師であるのなら、むしろほんたうのことを子供たちに教えるべきだとわたくしなどは思いますのですが。

さうスマフォも🚙も要らんとさう教へるべきなのだと思います。

 

現代文明に必要なのはさらなる進歩への欲望では無く進歩を否定するに足る個としての強い意志の力です。

まずは教師が率先して此の意識改革をなし循環型の文明のことを考へるべきだらう。

 

でもコロナにやられた分また余分な雑務に追はれる分教師の皆が追ひ詰められ考へる機会すら持てぬのが實情なのだらう。

だから教師はそんな文明の奴隷なのではダメだ。

 

 

其の近視の拡大は然し大問題です。

其れもゲームだのスマフォだのの影響が一番悪いのださうだ。

 

また🚙にいつも乗ってる人も體を使はぬ分必然として体力が落ちて行きます。

要するに文明の利器が須らく人間の肉体にとり悪ひのであります。

 

だからまずはソコ、ソコをこそ止めるべきでせう。

 

是非進歩を否定し子供等の肉体を文明による破壊から守らねばならぬ。

其れも早急に其れをやらねば子供が皆弱くなって行かざるを得ない。

 

 

現代の文明、まさに其れは「悪い」ものです。

まずみんなは其処が分かって居りません。

  

 

『今、みんなが本当に欲しいものは何?』

 

東京や大阪、また其れに準ずる都市での見識が高い人々はもはやスマフォも🚙も要らんのであります。

まあ其処まで言う人は此処名古屋には少ない筈です。

ですが、わたくしに限っては感度が高くあるのでかうして当地では極めて珍しひ文化人でもまたある訳だ。

 

でも田舎の人、アンタ方が欲して居るのはむしろ其のスマフォや🚙や高層ビルなんでせう?

でもってTOYOTAみたく大金持ちになりたひとさう思っていますね。

でもそんなものは間違ひだらう。

 

TOYOTAイチローも金を持ち過ぎて居り其のことによりほとんど其の思考が濁って仕舞って居ることだらう。

 

 

 

米アマゾン創業者の元妻、「弱者」に寄付 4400億

此れはとんでも無いお布施の額です。

 

でも此の方、純資産は560億ドル(約5兆8000億円)とのことですのでほんたうならば五兆五千億円以上を寄付せねばならぬのでせう。

少なくともキリスト様ならば五兆円以上を寄付せよとさう仰る筈であらう。

 

資本主義は左様に頭がオカシイ。

要するに富が偏り格差が酷くなるやうに元々出来て御座る。

 

 

つひ文明批判に熱が入り肝心のことを言い忘れて居ました。

 

此の表参道の商業施設「GYRE」4Fに存在する“循環”をコンセプトとした食空間「GYRE.FOOD」ー田根 剛氏による設計ーの居心地の良さそうなことと言ったら。

 

“循環”がテーマの新グルメスポットが表参道「GYRE」にオープン

 

近現代の文明はまさに其の人間にとっての重要な価値としての「循環」を忘れたかのやうに「進歩」のみを追い求めて来た。

いつしか資本主義はより合理化されまさに合理的に利潤をのみ追求するシステムと化し抽象的な進歩を達成させる為のイデオロギーとなりつつある。

 

だがそんなイデオロギーが果たして我我に何を与へて呉れるのだらうか?

 

 

『今、みんなが本当に欲しいものは何?』

 

我我は今ほんたうに株価だけが吊り上がり其れでもって嬉しいのだらうか?

我我はコロナが収束しまた同じやうに資本主義が復活することを望んで居るのだらうか?

 

我我はコレ以上に飽食しまたコレ以上に知識を詰め込みコレ以上に電脳化し其れでもって幸せだと果たして言い得るのだらうか?

 

我我に必要なものとは其の「循環」を可能とする為の理性の力であり其れ即ち所謂見識が高ひところでの価値観の成就である。

 

人類は今まさに其の獣であることから卒業して行かねばならぬ。

其の獣臭ひところを脱し眞に理性的な文明を築くに足る感度を今後は磨き続けて行くべきだ。

 

 

確かに大衆は常に多くを望んでなどは居らぬ。

民衆は只普通に生きることを望んで来ただけのことだ。

 

だが現代では其の普通の欲望が戦争をまた進歩を支持したりもする。

其れに自民党は罪人であるにも関はらずかうしていまだ大衆により支持され続けて来て居る。

 

 

兎に角サステイナブルな循環とは理性の働きが創るものであることを何より田根 剛氏による建築から學ぶことが出来るやうに思う。

また番組中に視たことで衝撃的だったのは、此処のテーブルがなんと土で作られて居ることだった。

 

さうして土にて作られたテーブルは時の流れと共に部分的に壊れて行く。

だが其の自然としての時の流れを此の空間は受け容れて居る。

 

現代文明の構造物は其の逆に自然としての時の流れを拒み続けて居ることが多いことだらう。

さうして自然と隔絶する形で普通高層ビル群などが造られて居る。

 

また化石燃料の大量消費にせよ其れは本質的には其の時の流れを拒み続けることに他ならぬことだらう。

 

 

其の時の流れをむしろしかと見詰めて行くことこそが大事だ。

先に述べたやうに時の流れとは分離であり分裂のことだ。

 

故に時は本質として流れるべきでは無いものなのだ。

 

時が流れると矛盾が生じる。

さうして分かたれたもの同士が繋がることで矛盾を生じることだらう。

 

だが其の矛盾から顔を背けることなどは出来ぬ。

其の矛盾を見詰めることでつまりは時の流れを感ずることで我我は獣としての認識を脱しより高ひ感度と見識を磨き続けて行くことが初めて可能となることだらう。

 

矛盾を直視することなく文明が渡り続ける横断歩道に今其の赤信号が点って居る。

文明が齎す刹那の利益だけに固執し其処での快楽を貪り続ける其の様こそが醜ひ獣としての有様を形作らずして他に何を形作ると云ふのだ。

 

 

自然はかうして本来心地良いものなのだ。

田舎にはそんな自然があるが、大抵の場合田舎には金が無い。

そんな抽象的な価値の達成の為に都会と云ふものがまたつくられたことだらう。

 

だが都会で追求される抽象的な価値は容易に肥大化し且つ劣化する。

其れはやがて人間の肉体を脅かすものともなり得ることだらう反自然の力の増殖のことだ。

 

そんな獣の力としての欲望がさうして全てを破壊へと導くことだらう。

まさに其処では都会もまた田舎も共に破壊されて行くことだらう。

 

 

であるからこそ今まさに其の破壊を理性にて阻止するのだ。

破壊を止め得るものは理性以外にはあり得ない。

 

其の理性の働きこそが「循環」の思想の中にはある。

「循環」を可能とするものは理性であり、逆に破壊とは獣としての欲望の仕業である。

 

また「循環」とは神佛による智慧であり、破壊とは其れとは逆の魔の働きによるものだ。

其の魔に支配された世界こそが今まさに破壊へと突き進んで行く訳だ。

 

其れにストップをかけ人類が自ら行ひを正して行く為には目覚めた理性による新たな価値観の構築こそがまさに望ましい訳だ。

 

其の理性による新たなる価値観の構築の實例として私は田根氏の建築を是非挙げておきたく思う。

                         2021-01-17